(株)外山精一商店

社長挨拶代表取締役 外山 浩玲(とやま ひろあき)

「社会環境に適応し、新しい可能性を切り拓く企業」

外山 浩玲

当社は創業以来ステンレス鋼材をメインに加工、販売を行っている会社です。

常にステンレスの新しい可能性を追求し、皆様のご要望に応え、ステンレスの需要拡大の道を切り開いてまいりました。
祖父であり創業者の外山精一は「明日を拓くステンレスと共に」をスローガンとし、燕の企業にステンレスの供給をいち早く進めマーケットを開拓しパイオニアとしての地位を確立致しました。
このスローガンを3代にわたり大切にし、ステンレスだけでなくチタン、非鉄金属、特殊鋼鋼材等々の販売や加工品の製造販売等にも事業展開し、営業の幅を広げています。
お客様から最初に頼っていただける存在であり続けるために、会社全部署にて幅広い商品知識や情報を共有し、鋼材の加工、販売だけでなくビジネスマッチングを通した企業間の橋渡しとしての役割も担い、今後も社会の活性化に貢献し続けてまいります。

 

創業85年 設立70年  ― 企業沿革

祖父にあたる外山精一は勤めていた三条市の測量メーカーの営業担当を任されていた際に秤製品の一部に使われていたステンレス鋼の将来性に無限の可能性を感じ、1936年(昭和11年)に独立してステンレス鋼の販売を始めたのが弊社の事業の始まりです。
当時、ステンレスはまだ、日本では開発されたばかりの金属でしたので、お客様に十分な量を確保することができませんでした。
またその後の終戦後には供給は更に絞られ、必要数を確保する為に、当時は軍事品の払い下げ材等を入手し、圧延をしてお客様に納めることもあったと聞いております。
1937年(昭和12年)日本ステンレスからの依頼を受け、燕地区の洋食器、三条地区の曲尺、ノギス関連用のステンレス材料を販売し、その後昭和23年からは八幡製鉄(現日本製鉄株式会社)からもステンレスの供給をうけて、新潟県県央地域のステンレス鋼の普及に努めました。
昭和26年12月株式会社外山精一商店を設立し、三条市北新保に社屋、倉庫を建設しました。
昭和40年ステンレス製品の製造部をになう貿易部を設立、昭和48年に貿易部を分離し双葉工業株式会社を設立しました。
昭和49年より新潟県燕市に工場を新設してレベラー、スリッター、シャーリングを導入しコイルセンターとしての鋼材加工及び販売を開始致しました。
現在はステンレスをメインにチタン等の豊富な在庫を持ち、鋼材加工販売の営業を行っております。またアルミニウムなどの非鉄金属や鉄・特殊鋼などあらゆる金属を全般的に取り扱っております。
モノづくりに携わってくるような素材はほぼ取り扱いがございます。これらの素材を、お客様からのご要望に沿った鋼種選定しご希望の寸法に加工してご利用して頂けるような状態でご納品しています。